【雑記】「ゆめ」について
はじめましての方もそうでない方もこんにちは。
Pandoraです。
最近レポートが続いていたので、たまには普通のブログを。
ひだまりを作って4カ月。
たった4ヶ月のなかにも色々なドラマがありました。
タイトルである「ゆめ」ですが、私の夢はお店を作り、継続することではありません。
今日はたくさんある夢のうちの一つについてお話しします。
私の子供の頃の夢は「通訳になること」でした。
小学校の頃から英語に興味があったからです。
当時、国際交流団体に所属しており(堅苦しい言い回しですが、要は英語を習っていた)ました。
習うといっても、文法や会話を学ぶのではなく、英語劇を小さい子から大きい子まで混じって、
発表会に向けて練習をします。
おそらく、その影響あって、小学校3年生の時に、夢はなんですか?と聞かれて
「通訳になりたい」と答えていたのを、今でも覚えています。
周りの環境が変わるにつれ、通訳という夢は遠ざかっていきました。
でもある時点で気が付いたのです。
「通訳」という仕事は、多言語を使い、世界の人々とコミュニケーションをとる仕事。
それを通じて人の役に立ち、人に必要とされ、喜び喜ばれる関係を築く仕事。
つまり、小さいころの私は「通訳」という職業でしか、それを叶えられないと思っていたのです。
しかし、その小さい頃の「想い」は、火が小さくなることはあっても、
消えることなく、私の中でずっと燃え続けていました。
それに一歩近づくきっかけとなったのがDJでした。
詳しくは今回は割愛しますが、DJになり、音楽活動をすることで、世界の人と関わることができるようになりました。
そして今。長原というなんの変哲もない小さな街、小さなお店で、
またその夢に一歩近づくことができています。
不思議なもので、正直囲碁なんて知る前はださくって大嫌いでした。
しかし、母が他界し、母が愛したものの正体を知りたくなって、囲碁のお店を継ぐことを決意しました。
目の前にやってきたことを本気でやってみたのです。
そして、夢に対しての想いは、変わらずに燃やし続けることで、
同じような想いを持った人と出会い、それに近づいていっています。
これからひだまりを通じて色々な国の方と出会える、今はそう確信しています。
通訳になれなかった私。
だけど、お店や音楽を通じて、色々な国の人と出会い、世界観を広げ、
自分という人間を通じて、日本という国を伝えていくことができている私。
ひだまりを通じて、希望を持てる人が増えますように。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
皆さまとお会いできる日を心待ちにしております。
Pandora